描き続けた先に広がった、アートディレクターへの道
-れもんらいふ 永瀬由衣-

手描きによるタイポグラフィやイラスト、つくり手の体温を感じさせるような独自のアートディレクションが魅力のデザイン事務所「れもんらいふ」。今回取材させていただいた永瀬由衣さんは、大学在学中に同社へインターンとして入社し、現在はCDジャケットや書籍の装丁、企業広告などのデザインを手がける、注目の若手アートディレクターです。

幼少期から一貫して「描くことを仕事にしたい」という思いを抱いていた永瀬さんは、「色鉛筆とスケッチブックが宝物だった」と当時を振り返ります。その目標に真っ直ぐに向き合い続けた彼女はどのようにアートディレクターへの道を切り開いてきたのでしょうか?この取材を機会に久しぶりに見返したというスケッチブックと共に、これまでのキャリアについて聞きました。

 

好きなものをひたすら詰め込んだ、学生時代のスケッチブック

初めて永瀬さんが描くことにのめり込んだこんだのはいつですか?

はっきりとは覚えてないのですが、小学生の頃でしょうか。母親に色鉛筆とマルマンのスケッチブックを買ってもらったのが嬉しくって、宝物のように大事に使ってました。3段のケースで、たくさんの色が入っている色鉛筆ってありませんでした?あれが好きで。小学校の卒業アルバムで、自分の宝物を持ち寄って写真を撮るページがあったんですが、そこにも色鉛筆を持って行きましたね。小学校中学年で絵を習い始めたのですが、その時には漠然となにかを「描く仕事」に就きたいという思いを抱いていました。最初は漫画家、中学・高校生ではファッションデザイナーと、夢はだんだん変わっていったのですが、「描く」ということは一貫していました。

スケッチブックには、当時影響を受けたものや好きだったものをひたすら描いていて、自分がやりたいことは何なのか、描くことで模索していたような気がします。普段は実家に保管してあるので見返すことはないですが、当時描きためていたスケッチは今も大事に残してあります。

 

永瀬さんが小学生の頃から描きためていたというスケッチブックの一部。当時の夢や描きたいものに合わせてノートを使い分けていたという。

 

これらのスケッチブックは、どのように使い分けていたのでしょうか?

とにかくたくさん持っていて、テーマで分けて使っていたのかもしれないです。意識してなかったんですけど、今回取材のご相談をいただいて見返したら、描きたい対象に合わせて使い分けているんですよね。数十冊残っていると思います。当時の趣味がそのまま現れていて、ちょっと恥ずかしいんですけど(笑)

中学3年生のとき、大好きだったしょこたん(中川翔子さん)が写真集を出版されたのですが、その発売イベントに私の描いたイラストを持って行ったことがあったんです。彼女に見て欲しいなと思って。会場にいらしたスタッフさんにお渡したのですが、中川さん本人に届いてるのかな? きっと届けてくれたと信じてます(笑)。しょこたんやYUKIさんなど、学生時代から憧れていた方といつか一緒にお仕事をするのが目標ですね。

 

中学生の頃から大好きだというしょこたんのイラストのスケッチ。

中学生時代、ファッションのデザイン画を描いていたスケッチブック。これは、今も大好きなアーティストのYUKIさんのステージ衣装をイメージして描いたもの。 

野田凪さんに憧れて目指した、アートディレクターへの道

永瀬さんがアートディレクターを目指したきっかけは何だったのでしょうか?

大学ではファッションを専攻していたのですが、YUKIさんのCDジャケットをみて衝撃を受けて。その時、クレジットに書かれていた野田凪さん(アートディレクター)のお名前を知りました。アートディレクターという言葉も知らなかったんですが、「こんな風に好きなものに関われる仕事があるんだ」って感動しちゃって。

野田さんの作品からは彼女の世界観が真っ直ぐに伝わってくるのに、同時に広告としてもしっかり機能するもので。何より、ビジュアルが可愛くてお洒落で。私自身この仕事を始めてから、クライアントさんの要望に応えながら自分の色を表現することの難しさを感じているので、本当に尊敬します。

 

ファッションを学びながら、アートディレクターを志したのですね。

学校の課題では洋服の制作をしていたのですが、数学もパターンも苦手だし、それがどこかで引っかかっている部分もありました。そんな時にアートディレクターという仕事を知って吹っ切れたというか、そこからこの道に進むことに迷いはなかったです。とはいえ、ファッションを学ぶことは自分にとってプラスになるとも感じていたので、課題をこなしながられもんらいふでのインターンを始めて、他にもバイトを掛け持ちしたり、グラフィックを中心とした自主制作作品のワークブックを並行してつくったりしていました。今思うとスーパー大学生ですよね。あのころの自分の頑張りは褒めてあげたいですね。よくやったなって(笑)

当時、母にアートディレクターになりたいと伝えたら「お父さんがやってるよ」と言われて、初めて父の仕事を知ったんです。デザインの仕事をしてるとは聞いていたのですが、それがアートディレクターと呼ばれるものだということは知らなかったんですよ。そうして、父にも当時描いていた絵を見せに行ったんです。

 

お父さんは、どんな反応をされていましたか?

自分の描いた絵に似てる、と驚いていましたね。私は父の仕事を見たことがなかったので直接影響は受けていないはずなのですが、不思議ですよね。ただ、その時は「厳しい世界だよ」と言われ、父からは反対されました。

でも、自分にはこの仕事しかないと心に決めていたので、就職してからも、父には定期的に作品を見せに行っていました。入社して2年ほど経った頃にデザイナーとして携わったある広告を見せた時に、「そこまでの思いがあるなら、やってみたら」と、はじめて認めてもらえました。自分としても思い入れの強い広告だったこと、父にもそう言ってもらえたことの両方が嬉しかった、思い出深い仕事ですね。

 

永瀬さんは仕事をする中で、PCの作業と手書きの作業をどのように使い分けているのでしょうか?

最終的な提案資料やデザインはにはPCで行うことが多いのですが、ラフやアイデアスケッチの段階では手書きのものでクライアントに提案することも多いですね。れもんらいふのメンバーは元々そういう仕事の進め方をしていましたが、最近はより増えてきているなと感じます。

手書きの表現によって生まれるメリットは何でしょうか?

手書きの方が表情の緩急がつけやすく、凝った絵作りががしやすいんですよね。写真ばっかりだとコラージュみたいになっしまうのですが、スケッチだが表現に余白があって、いい意味で伝わりすぎない。感覚的な部分になりますが、伝えたいイメージによって使い分けています。

実際にクライアント提案時に使用したイラスト。LUCUA大阪の広告となった実際の作品はこちら


描き続けることで見えてきた、自分らしいアートディレクターへの道

私自身、描いて、作品をつくり続けてきたからアートディレクターという仕事に出会うことができました。近しい業界で働いていた両親の影響もありましたが、行動して、それを継続しなければこの仕事に就くことはできなかったと思います。今この仕事を始めて数年経ちましたが、学生時代のような熱意を忘れてはいけないなって。私は多分描くことしか出来ないんですよ。だから、これからもアートディレクターとして成長するために、とにかく描き続けなきゃなと。スケッチブックを見返して、学生時代に持っていたパッションを思い出しました。

 

今後はどんな作品をつくっていきたいですか?

もっと強く自分のテイストを出せるような仕事をしていきたいです。オリジナルな自分らしさが何なのか、最近は少し掴みかけている感触があるんです。クライアントに貢献することはもちろんですが、仕事を見てくれた方に「これは永瀬のデザインだ」と伝わるような作品を生み出していきたいですね。

 

《プロフィール》
永瀬由衣
株式会社れもんらいふ アートディレクター/グラフィックデザイナー
1991年11月26日生まれ、東京都出身。女子美術大学芸術学部アートデザイン表現学科ファッションテキスタイル表現領域卒業。女子美術大学在学中に株式会社れもんらいふのインターンを経験。2014年、新卒で入社。以降、デザイナーとして広告、雑誌、CDジャケットなど様々なプロジェクトに携わる。2016年夏、SHE IS SUMMER「LOVERY FRUSTRATION E.P.」にてアートディレクションを担当。以降アートディレクターとして、SHE IS SUMMER、南波志帆、杏沙子などの女性アーティストのCDジャケットや、アパレルブランドのカタログ、広告、香港でのイベントのメインビジュアル・空間ディレクション、俳優のカレンダー等も手掛けている。
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