元プロ野球選手 五十嵐亮太さん(後編)
- Sketch Creators Vol.12
「絵を描く理由は、『自分が楽しい』だけで十分です」

sketch(スケッチ)とは、人物や風景などを描写すること。連載インタビュー企画「スケッチクリエイターズ」では、素晴らしいクリエイションを生み出すさまざまなクリエイターへのインタビューを通じ、彼らの創作背景を言葉と写真でうつしとっていきます。

第12回目は、元プロ野球選手で現在はプロ野球の解説者など多岐に渡るご活躍をされている、五十嵐亮太さんにお話をお聞きしました。1998年、千葉県・敬愛学園高等学校から東京ヤクルトスワローズに入団し、2020年にユニフォームを脱ぐまで、多くのファンを魅了した五十嵐さん。幼い頃から絵を描くことが好きだったという五十嵐さんは、23年にわたる現役生活を終えたいま、絵とどのように向き合っているのでしょうか。五十嵐さんが描いた作品を拝見しながら、絵にかける思いを探っていきます。

絵を描くことで救われた思い

五十嵐さんは幼少期から絵を描くのがお好きだったとのこと。高校時代も野球の練習や学校の授業と並行して、絵も描かれていたのですか?

いや、学生時代は野球と学校の授業だけで1日が終わってしまったので、絵を描く時間がとれなかったんです。プロに入っても、誰にも負けないと自負できるほどの練習量を積んでいましたし、絵は描いていませんでした。

改めて絵を描くようになったのは、アメリカへ渡ってからです。チームメイトと食事へ行ったり、遊びに行ったりもしましたが、毎日ではありません。だからやることがなさすぎて(笑)。遠征先の部屋で音楽をかけ、一人で酒を飲みながら、ホテルに置かれているメモ帳に絵を描くわけです。思うようにいかない悔しさや、家族と離れている寂しさを紛らわせるように、夢中になって絵を描いていました。

五十嵐さんが描いた電球とトマトのデッサン。
まるで映画のワンシーンのようです。そのときはどのような絵を描いていたのでしょうか?

飲んでいる酒のグラスとかですよ。目の前にあるもの。僕が描くのは、基本的に模写やデッサンなんです。モチーフと向き合い、絵に没頭することで、無心になれるんですね。対象物を観察すればするほど、陰影や光が見えてくる。とはいえ素人ですから、思うように表現するのが難しく、キリがないんです。

さらに色をのせると途端におかしくなるというか、「料理が苦手な人がいろいろな調味料を入れてしまい、よく分からない味になる」みたいなことになってしまう(笑)。求めていた色を出せたときの喜びと同じくらい、ストレスを感じるんですよね。だから着彩は苦手なのですが、夢中になれることに変わりはないので、作業自体は嫌いではないのだと思います。野球の練習も一緒なんですよ。いいボールを投げられたときは快感だけど、思うようなピッチングができないときにその原因を見つけるプロセスは苦悩をともなう。だけど決してその過程は嫌じゃないんです。そこに何か魅力を感じているのかもしれません。

「絵の話をするのは楽しいですね」と五十嵐さん。

身近にある画材で身近にあるもの描く

現在も継続して絵を描かれているとか。

カバンにはいつも小さなスケッチブックを入れています。描く回数は減ってしまいましたが。絵を描くのは大抵、酔っ払っているときですね(笑)。音楽を聴きながら、ペンを走らせています。題材はやはり身近にあるものが中心。飲みながら描くのは楽しいですし、酒の肴をつままないので健康にもいいかなと(笑)。

五十嵐さんが持ち歩いているマルマンの「図案スケッチブック」。こちらは「ダイソー」で販売されているモデル。
片手にグラス、片手にペンをもっていると、おつまみに伸ばす手がないですものね(笑)。画材にこだわりはありますか?

とくにないんです。目の前にある画材でいかに自分の味を出すか、というのがおもしろい。よく使うのは鉛筆、ボールペン、パステル。あと最近は筆ペンでも描くのですが、濃淡を表現できるのが楽しいんですよ。

筆ペンで描いたという「シャネル N°5」とデキャンタ。

たとえばこれは、ボトルのデザインが好きな「シャネル N°5」を、筆ペンで描いたもの。鉛筆でデッサンしたあとに、筆ペンでなぞったんです。隣にあるのは自宅にあるウイスキーのデキャンタ。これも飲みながら描きました。

情緒的でとても素敵な作品です。こちらは球体のデッサンですね。

丸い絵を模写するかたちで描きました。光の加減を表現するのは、やはり難しいですね。

絵の練習として球体を描いてみたそう。使用しているスケッチブックは、マルマンの「アートスパイラル」。
フィンセント・ファン・ゴッホの『グレーのフェルト帽の自画像』の模写は、完成度が高く、とても美しい仕上がりですね。

ゴッホの作品がすごく好きなんです。これはパステルで描いたもの。パステルは色がしっかり出るところが気に入っています。薄い色彩より、鮮やかな色彩の作品が好みですね。

「没後120年 ゴッホ展」の図録を見ながら描いたという、『グレーのフェルト帽の自画像』の模写。制作には約1週間かかったとか。
これほどまでにお上手なのですから、「改めて絵を学んでみよう」とお考えになることは?

『ルパン三世』に登場する峰不二子のような先生になら、ぜひ教わりたいです。絵に集中できなくなってしまいそうですが(笑)。

五十嵐さんが所有している「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」の図録と、「没後120年 ゴッホ展」の図録。

人からの評価は気にせず、絵を楽しむ

五十嵐さんは「マルマン」にどのようなイメージをもたれていますか?

「絵を描くならマルマンのスケッチブック」というイメージですね。アメリカにいるときも感じたのですが、マルマンのスケッチブックってどこにでも売っていますよね。文具店や生活雑貨店のみならず、スーパーやコンビニにだって置いてある。僕の自宅には「図案スケッチブック」がたくさんあるのですが、厚みのあるソフトな紙肌がすごく好きです。この紙肌はどんな画材と相性がいいのかなと、考えるのも楽しいんですよ。相性がよくなくても、それによって新しい表現が生まれることもありますし。

マルマンの「図案スケッチブック」とドイツの老舗鉛筆メーカー「LYRA」の水彩色鉛筆。「次の休暇の際、この水彩色鉛筆で絵を描いてみようと思います」と五十嵐さん。

画材選びの視点とも共通しますが、ゴルフクラブもあえて古い道具を使うのがおもしろいんですね。友人には「道具を変えろ」と言われますけど(笑)。でもそのクラブでボールが飛ばないのなら、クラブを変えるのではなく、自分をクラブに合わせていけばいいんです。与えられたなかでベストを尽くす。何事においても、そんな思考でいる気がしています。

素晴らしいお考えですね。五十嵐さんにとって、絵を描くことで得られる価値とは?

絵を描く行為は、一種のマスターベーションのように感じています。気持ちよくて、楽しくて、心が満たされていく。深く考えず、それだけで十分だと思うんです。

やっぱり「上手く描けたな」と実感できるのって、楽しいじゃないですか。僕にとっては、人との比較や人からの評価は介在しなくて構わないんです。絵を描くことが好きだから描く。趣味は人それぞれですから。音楽が趣味な人、映画が趣味な人、みんな思い思いに満喫しているのと一緒です。

「これからも絵は趣味として楽しんでいきたいですね」と五十嵐さん。

絵を描くことで、新しい自分が発見できる

五十嵐さんのお話をお聞きしていると、「絵を趣味にしたい」という方がとても増えそうだなと感じます。

絵を描くと、新しい自分が発見できると思いますよ。誰かと同じものを描くにしても、モチーフをとらえる視点はさまざま。描き手の個性が自然とあらわれてくるんですね。上手い下手にとらわれず、自分が好きなように、楽しく描くのがいいのではないでしょうか。絵や写真など気に入ったモチーフの模写から練習をはじめ、そこから自分なりの味付けをしていくのがオススメです。

あのパブロ・ルイス・ピカソですら、「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」といった言葉を残しているんですね。真似をすると、自分にハマるポイントが必ずどこかにあります。そうすると真似をしていたことがやがて自分のものとなり、オリジナリティや求めていた表現の発見につながっていくんですよ。僕自身はまだ「模倣」の段階。いいなと思った絵を真似て描くだけで、いっぱいいっぱいです(笑)。

これから取り組んでみたい作品はありますか?

プロ野球のオフシーズンは僕の仕事のスケジュールにも余裕が出てくるので、色の使い方の練習をしてみようと考えています。あとは描くのが苦手な人物画にも挑戦したいなと。やっぱりマルマンのスケッチブックは、常に置いておかないといけませんね。僕はいつも「片手にマルマン」です。

五十嵐さんは茶目っ気たっぷりにさまざまなお話をお聞かせくださりました。

《プロフィール》

 

五十嵐亮太(いがらし・りょうた)
元プロ野球選手

 

1979年北海道生まれ。1997年にドラフト2位指名で、東京ヤクルトスワローズに入団。その後2003年にクローザーに転向し、最優秀救援投手のタイトルを獲得するなど、名実ともにヤクルトスワローズの守護神となった。2009年11月にFA権を行使し、2010年シーズンからMLBニューヨーク・メッツに入団。2012年からはピッツバーグ・パイレーツ、トロント・ブルージェイズ、ニューヨーク・ヤンキースとMLBを渡り歩く。2013年より福岡ソフトバンクホークスに移籍し、日本球界復帰。2014年シーズンには63試合に登板、1勝3敗2セーブ44ホールドで防御率1.52の成績を上げ、福岡ソフトバンクホークス日本一の立役者となる。2019年から古巣・東京ヤクルトスワローズに在籍。日米通算で史上4人目となる900試合登板を達成。2020年のシーズンを持って引退を表明。引退後は、野球だけではなくさまざまな領域に挑戦中。