テキスタイルデザイナー 須藤玲子(前編)
- Sketch Creators Vol.7
「私たちの布を 『つくる人から使う人へ』届けていく」
sketch(スケッチ)とは、人物や風景などを描写すること。連載インタビュー企画「スケッチクリエイターズ」では、素晴らしいクリエイションを生み出すさまざまなクリエイターへのインタビューを通じ、創作背景を言葉と写真で写しとっていきます。
第7回目にご登場いただくのは、世界を舞台に活躍するテキスタイルデザイナーの須藤玲子さんです。学生時代からマルマン製品を愛用されていたという須藤さんのスケッチを拝見しながら、テキスタイルデザイナーになるまでのエピソードなどをお伺いしていきます。
テーブルの上に並ぶのはすべてマルマン製品。ひとつひとつ丁寧に説明をしてくださりました。
学生時代から側にあるマルマン製品の数々
「図案スケッチブック」に「クロッキーブック スタンダード」、「スケッチブック オリーブ」、「ポートフォリオ」まで。こんなにもたくさんのマルマン製品をご愛用いただき、ありがとうございます!
アトリエを探したらたくさん出てきたのです。今日、持ってきたのはほんの一部。「マルマンさんの製品ばかり使ってきたのだな」と、改めて気がつきました。青や赤の「クロッキーブック スタンダード」には、東京造形大学で授業をしていたとき(現在は名誉教授)、卒業制作に取り組むゼミの学生たちとのやりとりを描いていたのです。学生からの相談に対し、「こんな風な構成はどう?」といったアドバイスとかですね。タブレット端末やパソコンをお使いになる先生方がほとんどですが、私は基本的に手描きです。話しながら絵や文字を描けますし、状況や空気感までをも紙に落とし込める。その場でパッと紙を切り離し、学生にあげられるのもクロッキーのよさですよね。私にとってこのクロッキーは、コミュニケーションノートになっていました。
須藤さんのお子さんが使っていたマルマンの「スケッチブック オリーブ」。「付属の綿の紐を息子は引きちぎっていたようで、いろいろな紐で修理していました」と須藤さん。
「ポートフォリオ」は一番古いので1980年代初頭に購入したものだと思います。現在販売されている同製品とデザインがほぼ変わらないって、本当にすごいことですよね。これはマルマンさんの素晴らしさのひとつだと感じています。それにマルマンさんのスケッチブックなどは、手元に残したくなるのですよ。「図案スケッチブック」や「スケッチブック オリーブ」は子どもが小さいときに渡したものですが、いまでも大切に保管しています。
マルマンの「ポートフォリオ」。発売時より改良を重ねてはいるものの、デザインを変更したのは一見するとロゴ部分だけのように感じます。
昔の「ポートフォリオ」の中に入れているのは、とあるファッションブランドのテキスタイル用に制作した図案の原画です。テキスタイル・プランナーの新井淳一さんと一緒にNUNOを立ち上げる前、手織り作家として活動するかたわらしていた仕事ですね。基本的に図案は買取りのため、原画はほとんど手元に残らないので、これは売れ残り(笑)。この辺りはポスターカラーで描いていました。
須藤さんが当時描いた図案の原画。
友禅作家や手織り作家を志した学生時代
どの図案もとても素敵です。NUNOを設立する前は手織り作家としてご活動されていたとのこと。織物に興味をもたれたきっかけをお聞かせください。
手織り作家の前は友禅作家になりたかったのです。私が子どもの頃は、母親も出かけるときは着物を着ていましたし、呉服の行商の方も来ていて、「将来は綺麗な着物をつくってみたいな」と、ずっと考えていました。刺繍も好きで、小学生時代は自分で刺繍をしたハンカチを、友達や従姉妹たちにプレゼントしていましたね。
「私、ことごとく挫折してきているのです」と笑う須藤さん。
だけど母は私を音楽家にしたかったようで(笑)。それで「玲子」という名前のようです。ピアノもずっと習っていましたけど、好きじゃないとつづけられないですよね。高校受験を機にピアノを辞めたのですが、母はすごくショックを受けていましたね。こんどは何を思ったのか、まだお若かった日本画家の小林恒岳先生の絵に惚れ込み、「素晴らしい方だから、遊びに行きなさい」と言うのです。「絵を教えていただきなさい」とかではないのですよ。それでご自宅へ伺うものの、先生はいつもいらっしゃらない。なので詩人の奥さま、硲杏子さんとお話をさせていただくのですが、高尚すぎて理解が及ばない彼女の話に魅了されるのです。当時、盛んだった学生運動の影響もあって、知性に対する憧れがあったのだと思います。
取材は東京・六本木にあるNUNOの旗艦店「NUNO」(東京都港区六本木5-17-1 アクシスビル 地下1F)で行いました。
© Nuno Corporation
先生のお宅へ1年ほど通った頃、小林先生に「何がやりたいの?」と聞かれ、「着物に関わることがしたいです」と答えました。先生は「じゃあ日本画を学びなさい」と。そこからです。絵を教えていただくようになったのは。それで武蔵野美術大学の日本画学科を志望し、先生も「自分が教えているのだから絶対に合格する」と信じてくださっていたのですが、見事に落っこちるのです、私(笑)。ただその頃の武蔵美には短大があって、染織作家の広川青五先生が教鞭を執られていました。そこで染色を学ぶつもりで武蔵美の短大へ進学したのですが、私が入学した年から広川先生は別の大学へ移られてしまったのですよ。
須藤さんが学生時代に使用していたマルマンの「クロッキーブック スタンダード」。
それはやるせない気持ちになってしまいますね……。
入学式で知ったので、もうびっくり仰天です。私がやりたいことは学べないわけですから。小林先生にご相談をしたら「うちへ来なさい」と仰ってくれ、学校が休みの日に絵を教えてくださいました。とはいえ学校には北欧のデザインを日本に伝えた第一人者である島崎信先生がいらして、授業が抜群に面白かったのです。そこで私は北欧のデザインやテキスタイルに出合うことになるのですね。テキスタイルデザイナーの川上玲子先生の講義もあり、さらに織物の可能性を感じました。着物に絵を描き、織りで帯をつくればいいのだと。大学で受けた教育は北欧の織りでしたが、私は日本の織りを学びたいと思ったのです。それで専攻科へ進んだのち、武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科で助手を務めながら、京都へ出向いてつづれ織(西陣爪掻本綴織)の研究をしてね。糸を染め、糸を撚り、手織りするという、すべてを自分の手からつくり上げられる織物の面白さに気づき、手織り作家として活動をするようになりました。23歳で大学の研究室を辞めた、そのときからですね。
京都には数ヶ月滞在をして、つづれ織りの職人さんから直接手ほどきを受けたそうです。
友人が手がけた建築やレストランに飾るタペストリーなどを織っていたのですが、それだけでは食べていけなかったのです。そこではじめたのが先ほどお見せした図案の仕事。私は日本画のトレーニングをしていますから、花鳥風月の絵が描けるのですね。描けるゆえに次から次へと仕事の依頼があったので、NUNOの設立にあたり図案家の仕事を辞める際は、ちょっと大変でした(笑)。
1991〜2013年まで使用していたエルメスの手帳のリフィルも見せてくださりました。
布づくりの現場の思いも伝えていく
NUNOの設立に参加されたのは1983年、須藤さんが30歳のときです。手織り作家としての活躍を志ながらも、なぜテキスタイルデザイナーへ転向されたのでしょうか?
新井さんとの出会いが大きいですね。NUNOに誘われたのは1982年頃、知り合ったのも偶然だったのです。図案を納品した帰り、たまたま入ったギャラリーで新井さんが展示をされていて。新井さんは1970年代後半から山本寛斎さん、1980年代に入るとコム デ ギャルソンやイッセイ ミヤケのテキスタイルに関わるなど、すでに世界的な知名度も高い方でした。その日は新井さんも在廊されており、いろいろとお話をさせていただいたら「君、僕と一緒に店をださないか」と。初対面でいきなりですよ(笑)。それなりに忙しいし、デザインなんてできないし、機織の仕事もあるし、と、たくさんの「できない理由」が頭に浮かんできたものの、どこかひっかかったのですね。それで夫に相談をしたら、「君レベルの作品を織れる作家はいくらでもいるよね。工芸家としての才能もそんなになさそうだし、いい機会なんじゃない?」って(笑)。彼の言葉に後押しされ、挑戦をしてみようと決意しました。
NUNOに参加する前は、平日は図案の仕事に取り組み、週末は織り機に向かうという生活だったそうです。旦那さまの言葉の真意には、忙しく過ごす須藤さんの体調を気遣う思いもあったとか。
新井さんはNUNOで何を伝えたいとお考えだったのでしょうか?
NUNOのコンセプトは「つくる人から使う人へ」。この思いはいまも変わりませんし、私たちも守りつづけていきます。繊維の街として知られる群馬県桐生市に生まれた新井さんはご家業の機屋を継ぎ、日本のトップデザイナーのための生地をつくられていましたから、仕事は非常に充実されていたと思うのですね。だけど「限られたデザイナーのためだけではなく、一般の消費者の方々にも自分のテキスタイルを使ってもらいたいんだ」と仰っていて、私もすごく共感したのです。NUNOではじめる新井さんの取り組みを、ぜひお手伝いさせていただきたいと感じました。
2020年に茨城県近代美術館で開催された展覧会「6つの個展」で公開された須藤さんの代表作のひとつ「扇の舞」。204の布製の扇が空間を覆うように配され、大きなうねりや流れを感じられる構成です。
© Nuno Corporation. Photo by Masayuki Hayashi
「つくる人から使う人へ」に込めた思いは、どのように体現されていますか?
布をつくっている方々の思いをしっかりお伝えすることが私たちの役目です。NUNOのメンバー全員が布づくりの現場へ行き、産地、技術、素材の特徴を活かし、NUNOへ足を運んでくださるお客さまに気に入っていただけるテキスタイルを生み出さなければなりません。そして“使う人”であるお客さまが「この布をシャツやクッション、バッグなどにしたいな」というお気持ちを手助けさせていただく。それが「つくる人から使う人へ」の現れになっているかなと感じています。
「NUNO」の店舗では、たくさんの美しい布に出合えます。
「NUNO」のショップを訪れると、洗練されたパターンとカラー、繊細なディテール、上質な素材で仕上げられたテキスタイルがずらり。須藤さんの言葉通り、「この布で洋服を仕立てたいな。こっちの布では空間のパーテーションにしたいな」と、イメージがどんどん膨らみます。後編では須藤さんのデザインが生まれるプロセスや布づくりにかける思いなどを探っていきます。
《プロフィール》
須藤玲子(すどう・れいこ)
テキスタイルデザイナー
茨城県石岡市生まれ。武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科テキスタイル研究室助手を経て、株式会社「布」の設立に参加し、現在は取締役デザインディレクター。英国UCA芸術大学より名誉修士号授与。株式会社良品計画アドバイザリーボード。東京造形大学名誉教授。2008年より良品計画のファブリック企画開発、鶴岡織物工業協同組合、2009年より株式会社アズ、2015年よりドイツの傘メーカーKnirpsのテキスタイルデザインに携わる。日本の伝統的な染織技術から現代の先端技術までを駆使し、新しいテキスタイルづくりを行う。作品は国内外で高い評価を得ており、ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、ビクトリア&アルバート美術館、東京国立近代美術館等に永久保存されている。代表作にマンダリンオリエンタル東京、東京アメリカンクラブ、大分県立美術館のアトリウム他のテキスタイルデザインがある。毎日デザイン賞、ロスコー賞、JID部門賞等受賞。
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