建築家・デザイナー 寺田尚樹(前編)
- Sketch Creators Vol.3
「自分にしかできない“デザイン”を届けたい」

sketch(スケッチ)とは、人物や風景などを描写すること。連載インタビュー企画「スケッチクリエイターズ」では、素晴らしいクリエイションを生み出すさまざまなクリエイターへのインタビューを通じ、彼らの創作の背景を言葉と写真で写しとっていきます。

第3回目にご登場いただくのは、建築家・デザイナーとして領域にとらわれない活動を展開する寺田尚樹さんです。迷うことなくクリエイティブの道を志した少年時代、海外での経験、デザインへの思いなど、前編では寺田さんのバックグラウンドをお伺いしていきます。

合理性で語れる建築は、自分に合っていた

建築家を志したきっかけをお聞かせください。

物心ついたときから「クリエイティブな仕事に就く」という前提で将来を考えていました。僕の父はグラフィックデザイナーで、父の事務所には写真集や美術書、綺麗な色鉛筆といったワクワクするものがたくさんあり、知らず知らずのうちに影響を受けていたのだと思います。ちょっと生意気ですけど、「誰がやっても同じ結果になる仕事はしたくない。僕がやったからこのアウトプットになったんだ」と言える仕事がよかったんですね。本来はどんな職種にもクリエイティビティは必要なので、すべての仕事がクリエイティブだといえるのですが。

寺田さんが代表を務めるインターオフィスのオフィス兼ショールームで取材を行いました。

ただ父はとても忙しく、子どもながらに「大変そうだな」と感じていたんです。だからかグラフィックデザイナーとは別の仕事にしようと。それにグラフィックデザインは主観でジャッジするところがあります。僕はもっと客観的に判断できる方がよかった。建築って、すごく理詰めなんですね。「こっちの方がなんか素敵」という受け手側の好みだけではなく、「コレコレこういう理由だから、階段はこのカタチになりました」と合理性である程度語れるんです。学校の授業でも数学や物理、科学が好きでしたし、原子の周期表も古代ギリシャのヒッパルコスが計測した月までの距離も、すべて理詰め。「建築は芸術的な面と理性的な面のバランスが取れているのではないかな」と感じ、建築家になりたいと決めました。

寺田さんのお父さまもマルマンのスケッチブックを愛用しているそうです。「父は旅先でいつも水彩画を描いています」。

とはいえ具体的な進路を決めるのって、大学進学のときじゃないですか。やっぱりまだ高校生だから、よく分からないですよ。それでいろいろと調べていたら、日本ではデザイナーがジャンルごとに細分化されているけれど、ヨーロッパの建築家は建物の設計だけでなく、プロダクトデザインや舞台のデザインなど、幅広い分野で活躍しているらしいと知ったんです。建築の道に進めばクリエイティブなフィールドで自由に活動できるかもしれないという、余白を残す考えもありました。

寺田さんが制作した1/700スケールのプラモデル作品で、幅は中指より短いほど。世界文化遺産の構成遺産に認定された三菱重工業/長崎造船所の「ジャイアント・カンチレバークレーン」と「第13号型駆潜艇」で、サビや国旗など緻密につくり込まれており、臨場感溢れる仕上がりです。

もうひとつ白状すると、実は大学のオープンキャンパスで目にした建築模型にやられちゃったんです(笑)。僕は小学生の頃からプラモデルが大好きで、リアルなものの縮尺を小さくして自分なりに表現するのが好きなんですね。ミニカーなどの完成品には興味がなく、自分でつくらなければ意味がありません。いまでもほぼ毎日2〜3時間、プラモデルをつくっていますよ。とくに飛行機や船が好きで、それぞれの機体にまつわる背景を学ぶとよりいっそう気持ちが盛り上がります(笑)。

こちらは1/72スケールの作品。初めて音速を突破した実験機「X-1」とアメリカ初の有人宇宙計画で使われた「マーキュリーカプセル」。寺田さんがつくるプラモデルはまさに芸術品です。

スケッチや模型が共通言語となった海外での経験

大学卒業後はオーストラリアやイタリアの建築設計事務所に勤務され、その後イギリス・ロンドンの名門建築学校AAスクールのディプロマコースを修了されています。

大学のゼミの先生に「君は海外に出た方がいいよ」と言われ、オーストラリアの設計事務所を紹介してもらったんです。時代はバブルの後期、同級生たちは大手ゼネコンや大手企業から内定をもらっていましたが、先生から見て僕は日本の組織に属するタイプではなかったんでしょうね。日本に帰ってきたら、もっと社会に適応できない身体になっていたのですが……(笑)。

しかしAAスクールはとても厳しい学校なので、留年もせずに修了できたことは大きな自信に繋がりました。たとえば日本の大学では与えられた課題を提出するスタイルですが、AAスクールは課題を自分で考え、それを先生にプレゼンし、OKをもらってからでないと課題にすら取り組めません。毎回、卒業設計のようで、本当にキツかったです(笑)。

学生時代からずっと、スケッチは手描きで行なっているそうです。

海外での経験を通じて学んだのは、どんなシーンにおいても自分の意見を明確に伝えなければならないということ。でも僕には模型や絵という言語以外のコミュニケーションツールがあったので、英語が上手に話せない時期はだいぶ助けられました。口で説明するより、スケッチを見せた方が早いんです。それは外国の方に限らず、日本の方に対しても同じ。お施主さんに建築模型を見ていただいたら、パッとイメージが湧きますよね。模型や絵が共通言語になってくれるんです。

当時はどのようなノートを愛用されていたのですか?

マルマンさんの「クロッキーブック」はよく使っていました。紙の枚数が多く、価格も手頃なので、描き損じても後悔しないのがいいですね。僕はメモがわりにアイデアを描いていました。そこそこのお値段がするスケッチブックだと、もったいなく感じて気軽に描けないんですよ。マルマンさんはもちろん日本の文具全般にいえることですが、紙質も、仕様も、罫線のプリントも本当に優秀だなと感じています。

見本を見ることなく、マルマンのロゴをホワイトボードに描いてくれました。

あらゆるデザインに取り組むと決めて独立

28歳のときに帰国し、わずか1年で一級建築士の資格を取られたそうですね。

日本で建築の仕事をしていくのなら、資格をもっていないと誰にも相手にされないだろうと思ったんです。一発で取ろうと決意してから1年間みっちり勉強に励み、無事合格することができました。テラダデザイン一級建築士事務所を立ち上げたのは2003年、34歳のときです。

独立後に掲げたテラダデザイン一級建築士事務所としてのヴィジョンとは?

建築、インテリア、プロダクト、グラフィックなど、なんでもやる事務所にしたかったんです。そしてこれらすべてのスケールにおいて、楽しい気持ちが芽生え、誰かと目を見合わせて微笑んでしまうような場面を提案したいと考えました。独立後、はじめての仕事は住宅の設計で、それが雑誌の表紙にもなったんです。「これで依頼が殺到するんだろうな」と思っていたら、ぜんぜん仕事がこなくって(笑)。要はやりすぎてしまったんですよね。

建築の仕事と平行しながらプロダクトデザインのコンペにも応募していて、よく賞をいただいていたんですね。それで「うちの会社と一緒に何かをつくりませんか?」とメーカーさんに声をかけていただき、プロダクトのデザインに携わるようになっていきました。そしてだんだんとプロダクトの楽しさに魅了されていったんです。デザインの仕事って基本的には請負仕事ですから、ご縁や巡り合わせが大きくて、そのおかげでいまの自分があるのだなと感じています。

これまで、テラダデザイン一級建築士事務所は建築家の平手健一さんとともに、さまざまな設計・デザインを手がけてきました。
“寺田さんの建築家・デザイナーとしての個性”を、ご自身ではどんな風にとらえていらっしゃいますか?

僕はデザイナーには2つのタイプがあると思っています。ひとつはみんなが認めている価値をさらに深めていくタイプ。たとえば名作と称される木のダイニングチェアを、現代のライフスタイルや人間の体格に合わせて、デザインを磨き上げていくようなことですね。もうひとつは、みんなが見たことがない「えっ?!」と思わせるようなデザインを提案していくタイプ。僕自身がそう在りたいと考えるのは、後者なんです。

寺田さんのデザインは、間違いなく後者だと感じます。

でもそれだとなかなか仕事になりません。ビジネスとして成立しないパターンが多いんですよ(笑)。空間もプロダクトも、すでにみんなが「イイね」といっているものの価値をさらに深めていく方がすんなり受け入れられる。これはこれでとっても難しいことなんですけど。だけどそれでも僕は、後者も追求していきたいと考えています。

「小学校の頃は音楽の五線譜ノートを使ってフォントを考えるのが好きでした」と寺田さん。

寺田さんの言葉の端々から、デザインに対する真摯な姿勢と、デザインを心から楽しんでいることが伝わってきます。後編では、2011年に立ち上げた紙製模型のブランド「テラダモケイ」やアイスクリームスプーンブランド「15.0%」、代表取締役を務めるインターオフィスでの仕事についてなど、現在の寺田さんの活動や思いに迫ります。

 

《プロフィール》

 

寺田尚樹(てらだ・なおき)
建築家・デザイナー

 

1967年生まれ。明治大学工学部建築学科卒業。Architectural Association School of Architecture(AAスクール/イギリス・ロンドン)修了。帰国後、2003年にテラダデザイン一級建築士事務所を設立し、建築、インテリアのほか、家具やプロダクト、サインデザインも手がけ、ブランド構築を行う。2011年に「テラダモケイ」と「15.0%」、2015年に「i+」を設立。2014年、インターオフィス取締役。2017年よりインターオフィス代表取締役に就任。