タレント 久保田雅人さん(前編)
- Sketch Creators Vol.11
「子どもたちがわくわくする工作を届けるのが、『わくわくさん』なんです」
sketch(スケッチ)とは、人物や風景などを描写すること。連載インタビュー企画「スケッチクリエイターズ」では、素晴らしいクリエイションを生み出すさまざまなクリエイターへのインタビューを通じ、彼らの創作背景を言葉と写真でうつしとっていきます。
第11回目となる今回は、NHK Eテレ『つくってあそぼ』の「わくわくさん」として、子どもたちに工作の楽しさを伝えつづけてきた久保田雅人さんにご登場いただきます。久保田さんがわくわくさんになるまでのエピソードや、工作にかける思い、紙を真っ直ぐ切るだけの工作アイデアの紹介など、盛りだくさんな内容でお届けします。
落語家と教師を目指した少年時代
久保田さんといえば、工作のお兄さん「わくわくさん」のイメージがあります。やはり幼少期から「将来はものづくりに関わる仕事がしたい」と考えていたのですか?
いえ、私は落語家になりたかったんです。もともと人前で話すことが好きでしたし、当時は演芸番組がよく放送されていたので、そこから落語に興味をもつようになりました。落語を始めたのは小学生の頃。「寿限無」や「目黒のさんま」にはじまり、中学校へ上がると「時そば」、「堀之内」、「孝行糖(こうこうとう)」など、さまざまな演目を覚えていきましたよ。中学の卒業文集には「将来、落語家になる」と書くくらいでしたから。
高校では落研に入り、文化祭などの行事があるたび、「忠遊亭古狸」という高座名で落語を披露していました。本気で落語家を目指していたものの、高校1、2年生の担任がとても素晴らしい先生で、その方に憧れて学校の先生になりたいと思うようになっていったんです。私が専攻したかったのは日本史。だけど「頑固一徹」を絵に描いたような親父は大反対。「大学へ進学するなら政治経済学部しか認めない。どうしても日本史を学びたいのなら、落語を辞めるのが条件だ」と。
高校卒業とともにより一層、勉学に励んだ久保田さんは、大学で特待生に選ばれた年もあったそうです。
お父さまとしては、大学卒業後の就職先のことなどを心配されていたのでしょうね。
そうだと思います。「単位をひとつでも落としたら学費は支払わない」とも言われていましたから、落語はきっぱり辞め、必死に勉強しました。無事に中学・高校の教員免許を取得したのですが、教育実習で「私に教師は無理だ」と気づいたんです。
そんなとき、たまたま手にした雑誌で、『タッチ』で上杉達也などを演じる声優の三ツ矢雄二さんが座長、『ONE PIECE』でルフィなどを演じる声優の田中真弓さんが副座長を務める劇団「プロジェクト・レヴュー」の第1期生募集の記事を目にし、なんとなく応募したら受かってしまって。きっと心の隅に、演じることへの憧れが残っていたのでしょうね。そのまま劇団に入り、キャリアをスタートさせました。お師匠さんが声優なので、私はアニメ声優としてデビューしているんですよ。
ちなみに、デビュー作となる『メガゾーン23』では主役を演じたんです。同じ作品でデビューしたのは、声優の山寺宏一さん。私がなぜか主役で、山寺さんは端役だったのですが、半年かからないうちに立場は逆転していました(笑)。
「劇団に入ると決めたときも、やはり親父に反対されましたね」と久保田さん。
ふとしたきかっけから、「わくわくさん」として生きることに
久保田さんのデビューが声優だったとは、なんだか意外です。『つくってあそぼ』でわくわくさんとしてご主演されるようになった背景には、どのような経緯があったのですか?
1989年、田中真弓さんが「NHK教育テレビの工作番組『できるかな』が終了することになったのだけど、後番組でも工作番組をつくりたいから出演者を探している」という相談を、NHKのディレクターさんから受けたそうなんですね。『できるかな』ではノッポさんが工作をしていましたが、ノッポさんはジェスチャーだけで意思表示をするキャラクターなので話をしません。しかし次の番組では、しゃべらせたいと。それで田中さんが「うちの劇団に、大道具や小道具がつくれて、しゃべらせても面白い男性がいるから、オーディションだけでも受けさせてください」と、紹介してくれたのが私だったんです。
私は小さい頃からものをつくるのが好きで、手先も器用。プラモデルをパーツから自作したり、改造したりするくらいでしたからね。だけどオーディションは想像以上に難しかったです。
工作の技術を損なうことのないよう、現在でも365日ハサミを使っているそうです。
あのノッポさんの後継となるキャラクターのオーディションですものね。とても難しそうです。
『つくってあそぼ』で紹介していた工作は、すべで造形作家のヒダオサム先生が考案されたものなんです。オーディションでもヒダ先生が、次々にお題を出してくださったのですが、それがまぁ難しい(笑)。絵のテストでは、「まず男の子の顔を描いてください」、「次にその男の子が泣いている顔、次に笑っている顔、次に怒っている顔、次に喜んでいる顔にしてください」といった具合です。これだけでも大変なのに、工作のテストも難易度が高かった。まずヒダ先生が1回だけお手本を見せてくれ、その後、私が同じ工作をつくります。やっとできたと思ったら、「今度はおしゃべりしながら、同じものをつくってください」と。満足のいく結果が残せなかったので、「これじゃあ受かるわけがない」とあきらめていたのですが、後日合格の知らせが届いて驚いたんです。
しばらくして「たくさん候補者のなかから、僕を選んでいただいた理由を教えてください」と、ディレクターさんに聞いてみたんですね。そうしたら「オーディションをしたのは久保田さんだけだよ。そこそこ工作もできたし、そこそこしゃべれたから、この人でいいかっていう話になって。何人もみるのは面倒くさいでしょ」って(笑)。こんな理由で選ばれた私が、「わくわくさん」になって23年(1990〜2013年まで『つくってあそぼ』に出演)。世の中は分からないものです。
わくわくさんのトレードマークである「赤いキャップと黒縁の丸メガネ」は、久保田さんのアイデアだったとか。
子どもたちをわくわくさせるのが、わくわくさん
そのような理由があったのですね。どうしてわくわくさんという名前になったのでしょうか?
当時のディレクターさんが、「子どもたちがわくわくするような、楽しいおもちゃをつくってくれるおじさん」という思いを込めて、「わくわく」という名前になったと聞いています。『つくってあそぼ』の前年に放送された試作番組は、『わくわくおじさん』というタイトルだったんですよ。その頃、まだ20代だった私は、「おじさんかぁ」と複雑な感情を抱いていましたが(笑)。
その後、番組のタイトルが『つくってあそぼ』に決まり、わくわくさんというキャラクターが生まれました。いつもゴロリくんと遊んでばかりいるので無職だと思われがちですが、実は世界をまたにかけて活躍するデザイナーなんです。
「マルマンさんの『図案スケッチブック』は、番組制作の現場でも使われていました」と久保田さん。
わくわくさんは世界的なデザイナーだったのですね。確かに当時『つくってあそぼ』を観ていた自分にとっても、わくわくさんが働いているイメージはありませんでした(笑)。
そうでしょ? 番組初期の頃は、ゴロリくんが「わくわくさん、今日はお仕事をしなくていいの?」といったセリフがあったのですが、だんだんとその設定が語られなくなってしまいました(笑)。わくわくさんの家を建ててくれたのは、大工さんであるゴロリくんのお父さん。そのつながりでゴロリくんと友達になったんです。
わくわくさんになられてからも、声優や役者のお仕事をされていたのですか?
しばらくは声優の仕事もたまにやっていましたが、番組がスタートして3年後、わくわくさん1本に絞りました。なぜかというと、わくわくさんに惚れ込んでしまったんですね。「石の上にも3年」とはよくいったもので、3年経つと番組はますますおもしろくなり、私とゴロリくんの息もあってくる。ものをつくるのも、しゃべるのも好きですから、どんどんのめり込んでいったんです。
わくわくさんの相棒であるゴロリくんは5歳の熊の男の子。二人の掛け合いも人気でした。
色画用紙を使った「紙を真っ直ぐ切るだけ」の工作
久保田さんにとってわくわくさんは、それほどまでに魅力的なキャラクターになっていたのですね。しかし大変だったこともあるのではないでしょうか?
まず最初にぶつかったのは、紙を真っ直ぐ切ることでした。子どもたちは折り目を付けたり、線を引いてから切ればいいんです。だけどわくわくさんは、真っさらな紙を切らなければなりません。しかもしゃべりながら切るのは、余計に難しい。普通、人はものを切るときは黙っているものですからね(笑)。
しかし、紙を真っ直ぐに切るだけでも、いろいろなものがつくれてしまうんですよ。その一例として、マルマンさんの色画用紙「ファンシーペーパー」を使い、「紙を真っ直ぐ切るだけの工作」をお見せしましょう。
日本のファインペーパーを代表する色画用紙、NTラシャを27色集めた「ファンシーペーパー」。サイズはB4です。
ありがとうございます。どんな工作になるのか楽しみです!
ではまず基本から。色画用紙の短い辺から約5cm幅で切っていきます。次に切った紙を半分に折り、折り目付近に顔を描く。顔を上にし、紙が重なり合う部分を指でスライドさせると、「コンニチワ! コンニチワ!」。紙のお人形さんができました。
横長に切った紙を半分に折り、顔を描くだけで完成します。
横向きにして魚の絵を描き、紙を動かすと、魚がスイスイ泳いでいるようです。
今度は同じ色画用紙から約7cm幅で紙を切り、切った紙を7〜8cmずらして折ります。折り目の真ん中に約10cmの切り込みをいれ、折り目のずれているほうが外側になるように、切り込みに合わせて折っていきます。
親御さんが真ん中に線を引いておいてあげると、小さなお子さんでも上手に切れるようになります。
切り込みがある部分を上にして、下の紙を上下に動かすと、ほーら! 面白い動きをするんですね。
これだけでも十分に楽しいパタパタとした紙の動き。
さらに紙を開き、内側に細長い色画用紙を貼ると、ヘビちゃんになります! かわいいでしょ。
舌が出し入れされる動きがユーモラス。内側に歯を描くと、ワニやカバなどにも変身します。
まだまだいきますよ。さきほどのヘビちゃんと同じものをつくり、今度はどちらか片一方だけ繋がっている先っぽを5mm程度切ります。切っていない方の紙の上部に手の絵、切った方の紙にはそれぞれ違う顔の絵を描くと、「いないいないばぁ!」の出来上がり。「いないいないばぁ!」で持ち上げると真ん中の紙が出て、ひっぱると一番後ろの紙がでてくる仕組みです。
「いないいない……」
「ばあ! でもほんとは……」
「ベロベロベン!」
大人も夢中になる楽しさですね!
そうでしょう。最後にもうひとつ。残った色画用紙を7〜8cmずらして折ります。折り目のある方に3等分で切り込みを入れ、折り目のずれているほうが外側になるように、切り込みに合わせて折る。ヘビちゃんとほぼ一緒の工程ですが、こんどは三角をつくっていくんですね。今回は青い色画用紙ですが、黄色い色画用紙を使い、中に白い紙を挟むと、バナナになりますよ。
切り込みがある部分を上にし、下の紙を上にひっぱると、バナナが顔を出します。
さて、いまつくっている工作に戻りましょう。紙を開き、折り目のある部分の先端を、3つとも少しだけ内側に折ります。
3等分の切り込みを入れるときも、線を引いておくと、お子さんでも切りやすくなります。
これを逆さまにして、上下に紙を動かすと、紙を丸めたボールなどがつまめる「クレーンゲーム」になりました! 机にたくさんボールを用意して、「誰が時間内にたくさんつまめるか」といったゲームにしても楽しいですよ。
「ゲームをするときは、紙のボールを入れるゴールを用意しておくといいですね」と久保田さん。
1枚の色画用紙から、こんなにもたくさんの工作ができるなんて驚きました。しかもどれも簡単な工作なのに、すごく楽しいものばかりです。
私がご紹介しているものは、23年間にわたりヒダ先生から教えていただいた工作の数々の応用なんです。ヒダ先生は天才ですよ。素材にひとつ手を加えるだけで、無限の広がりを生み出せるんですから。しかもそれはとても単純なこと。工作において大切なのは、いかに単純な工程で、人を喜ばせられるかどうかだと考えています。難しいものは、技術や美術、デザインの領域になってくる。我々が伝えているのは工作です。僕にとっての工作は、簡単につくれて、子どもたちを喜ばせられるもの。さらにそこへ子どもたちのオリジナリティが加えられたら、なおのこと素晴らしいと思うんです。
久保田さんが紹介してくれた「紙を真っ直ぐ切るだけの工作」で使ったのは、色画用紙とハサミ、ペン、セロハンテープだけ。
工作とは、ものに命を吹き込むこと
紙を切り、ちょっとした手を加えるだけで、命が吹き込まれていくように感じます。
ええ、『つくってあそぼ』が始まったばかりの頃、「わくわくさんがつくるものには、命が宿るんですよ」とヒダ先生にお話いただいたことがあります。さきほどご紹介した「紙を真っ直ぐ切るだけの工作」であっても、紙を動かすとまるで生き物のように見えてくる。つくるものに命を宿すとは、まさにこのことなんですね。
創造とは、破壊から始まります。紙を切る行為自体、破壊じゃないですか。破壊から新しい命を創造するのが工作なんです。とくに子どもたちは、よく破壊をしますよね。だけどここが創造の起点になるのですから、親御さんはできる限り怒らないであげてください。もちろんいけないことをしたら怒っていいんですよ。でもまずは「どうしてこういうことをしたの?」と優しく聞いてあげてほしい。すると何かしら、子どもなりの答えがでてくるはずなんです。
「お子さんと工作をするときは、親御さんもわくわくした気持ちで取り組んでください」と久保田さん。
「さすがわくわくさん!」と感じる工作を披露してくれた久保田さん。後編では、今回ご紹介した以外の紙を使った工作や道具の話、親御さんへのアドバイスなどをお聞きします。
《プロフィール》
久保田雅人(くぼた・まさと)
タレント
1961年東京都生まれ。立正大学文学部史学科卒業、中学・高校の社会科教員免許を取得。1990年4月〜2013年3月までNHK Eテレ『つくってあそぼ』にて、わくわくさん役として出演。番組放送中から全国の幼稚園や保育園での工作ショーや親子工作教室などを展開し、現在も継続。保育士や学生向けの講演会や工作研修会も行なっている。
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