イラストレーター イナコさん(後編)
- Sketch Creators Vol.13
「私には、絵を描くことしかできないんです」
sketch(スケッチ)とは、人物や風景などを描写すること。連載インタビュー企画「スケッチクリエイターズ」では、素晴らしいクリエイションを生み出すさまざまなクリエイターへのインタビューを通じ、彼らの創作背景を言葉と写真でうつしとっていきます。
第13回目は食べ物の絵を中心に描く、イラストレーターのイナコさんにご登場いただき、制作背景や作品への思いなどをご紹介していきます。後編ではイナコさんの紙選びのポイントや、水彩画初心者へ向けたアドバイスなどを、お聞きしていきます。
作品制作で愛用しているマルマンの紙
イナコさんはいろいろな種類の紙をお使いのようですが、お気に入りの紙はありますか?
私はさまざまなメーカーの紙をザッピングして使う方なのですが、ふと気がつくとマルマンさん製品であることが多いですね。そのひとつは、マルマンさんの「クロッキーブック」。これは日常的に使用していて、私は白クロッキー紙派です。白い紙やノートが昔から好きなのですが、美しい白を私の絵で汚してはいけないと思ってしまい、なかなか使えずにいたんですね。でもクロッキーブックならたくさん紙が入っていますし、緊張せずにのびのび絵が描ける。コピー用紙よりも薄く、ひっかかりなく描け、写し取りがしやすいところも気に入っています。
マルマンの「クロッキーブック」に描かれた、イナコさんが大ファンの及川光博さんのスケッチ。ライブの様子を描いたものだそうです。イナコさんはさまざまなサイズの「クロッキーブック」をご愛用されています。
ブランドサイト:https://www.e-maruman.co.jp/lp/croquis/
クロッキーブックの紙に、水彩を塗るのも好きなんですよ。仕上がりの雰囲気がすごくいいなって。水彩紙ではないため、水を吸収しないことで現れるシワ感も味わい深い。独特の“ゆらぎ”を表現できますし、自分がコントロールできない仕上がりがおもしろいんです。それに水を吸わない分、水彩絵の具が乾いたあとに水を加えたら、簡単に絵の修正ができるのもいいですね。私は細かい絵を描きたがりな割に大雑把なので、自分の性格にも合っています(笑)。
「クロッキーブック」に描かれた水彩画。イナコさんは塗った絵の具が乾いてから色を重ねて塗る水彩の技法、「ウェットオンドライ」で描いていきます。
書籍の表紙のように、細部まで書き込む絵を描く場合は、「アルシュ水彩紙」を使用しています。天然コットン100%の「世界最高峰の紙」と呼ばれるだけあって、“話が早い”んですよ。水彩絵の具は乾くと色が変わりますよね。そこから重ね塗りすると、1〜2回重ねただけで、紙によっては色が濁ってしまうんです。でも「アルシュ水彩紙」なら最初からきれいに色が出てくれて、かつ何度色を重ねても美しさが表現できますし、表面そのものも強い。「アルシュ水彩紙」は先輩イラストレーターの方々が「すごくいいよ」と、みんな口を揃えておすすめしてくれた水彩紙なんですね。実際に使ってみてその言葉通りだなと感じ、私自身も愛用するようになりました。
「アルシュ水彩紙」に描かれた作品。左が小池ねじさんの小説『京都烏丸のいつもの焼き菓子』、右が喜多みどりさんの小説『弁当屋さんのおもてなし』の装画です。
ブランドサイト:https://www.e-maruman.co.jp/lp/arches/
水彩初心者におすすめの紙と練習法
ではこれから水彩画を始めようと思っている方からアドバイスを求められた場合、どの紙をおすすめされますか?
マルマンさんの「ヴィフアール水彩紙 荒目」なんて、いいのではないでしょうか。リーズナブルでありながら色の再現性が高いですし、紙の表面に凹凸(シボ)があるため、色の塗り重ねもしやすいんです。水彩は一度描いてしまったら色が消せないイメージがあると思うのですが、「ヴィフアール水彩紙」は絵の具が乾く前であれば、ティッシュペーパーである程度の色が拭き取れるんですよ。だから水彩画初心者の方も、気負いなくお使いいただけると思います。
「私は小学生の頃に『ヴィフアール水彩紙』と出会いたかったです(笑)」とイナコさん。
イナコさんがおっしゃる通り、「ヴィフアール水彩紙」は紙の表面ににじみ止め加工が施されているので、絵の具が一定期間紙面に残り、修正はもちろん重ね塗りやぼかしといった技法も実践しやすいんです。紙むけを防ぐため表面に強度もありますから、水彩画初心者の方にもピッタリだと思います。絵の練習は何から始めるのがよいでしょうか?
みなさんやっぱり、まずは色を載せてみたいですよね。だから最初は塗り絵感覚で色を使ってみると、楽しく水彩画の練習ができるのかなと思います。自分で撮った風景や食べ物など好きな写真をプリントして、その裏に鉛筆でバーっと色を塗り、水彩紙の上に乗せて写真の画の輪郭をボールペンや硬めの鉛筆でなぞってみてください。そうすると紙に先ほどなぞった写真の画が、うっすら線で現れます。そこへ塗り絵をするように、色を載せていくんですね。プリントした紙の裏に鉛筆を塗ったら、全体をティッシュでクルクルと撫でるのもポイント。こうすると鉛筆の芯の余剰がとれますし、塗りムラが埋められるんです。芯が過剰についていると、水彩絵の具を塗ったときに色が濁ってしまうことがあるんですよ。色を塗る際は絵と同サイズの資料を隣に並べ、じっくり観察しながら描いていくと、もっといい練習になると思います。ゼロベースからだとハードルを高く感じてしまったりもするので、平塗り、重ね塗り、ぼかし、にじみなど水彩の技法も、この塗り絵で練習してみるのがおすすめですね。
イナコさんがパレットにしているのは琺瑯製のお皿。埃が乗るのを避けるため、使用するたびに絵の具を出すそうです。
「美味しそう」な絵が自分の作風になった
イラストレーターになる前は、グラフィックデザイナーとしてご活動されていたとのこと。デザイナーの経験が現在の制作に生かされることがあれば、お聞かせください。
デザインをやってきたからこそ、無計画に描くことをしなくなったなと感じています。つまり完成を予想してから、筆が入れられるんですね。描きながら考えていくと、私の場合は形が崩れてしまうことも多いんです。でも「こんな絵にしたい」という仕上がりをイメージし、そこに向かって絵を進めていくので、失敗も少ない。清書の前にラフを描くのも、これが理由だと思います。
仕事で使用するタブレットPCの上にスケッチブックを置き、自ら撮影した料理の写真を参考に下絵を描くイナコさん。「口にするものは、すべて撮影するクセがついてしまいましたね」。
イナコさんがデジタルを中心に作品制作をされていた頃は、多種多様なタッチの絵を描かれていました。水彩画で食べ物を中心に描かれるようになってからは、香りや味まで伝わってくるような「美味しそう」な絵が、イナコさんの作風になられたのですね。
私は物語のあるような絵を描くのがイラストレーターだと、ずっと思っていたんです。主人公になるようなキャラクターがいて、それを取り巻く世界を描くのがイラストレーションなんだと。だから自分のタッチはどうやったらつくれるのだろうと、いろいろな絵を描いて模索していました。でもいまは、私が「美味しそう」に描いた絵が、イラストレーションになっているのかなと思っています。モチーフの基本は、自分が食べて美味しいと感じたもの。仕事としてご依頼いただいた食べ物の場合は、お店に食べに行ったり、テイクアウトをしたり、自分でつくったりしています。
水彩色鉛筆、色鉛筆、クレヨンが1本の鉛筆になったLYRAの「グルーヴ・トリプルワン」で色をつけた、海老と野菜の炊き合わせ。
製品詳細:https://www.e-maruman.co.jp/products/detail/l3831120.html
生涯ずっと、絵を描き続けていたい
イナコさんは「いなこさら」という小皿の制作、販売もされていますが、こちらはどのような背景のもとに生まれたものなのでしょうか?
「いなこさら」は印判皿なんですね。印判は明治以降に行われるようになった染付の技法で、素焼きの皿に図案を転写してつくられます。図案となる転写紙は印刷物なのですが、1枚1枚手作業でつくるため、図案のズレやかすれが生じ、それがお皿の個性になる。私にはそれが魅力的に感じ、デザイン性と偶然性が重なる印判皿を自分の絵でつくってみたいと思い、「いなこさら」の制作を始めました。イラストレーションで構築できなかった世界を、「いなこさら」で表現している感覚ですね。
2016年から制作を始めたという「いなこさら」。左から「SPICE」、「装」、「夜くらげ」、「蛸と海星」。さまざまな図案のバリエーションがあり、年に1、2種類、新作を発表しているそう。
図案は毎年発表している干支をはじめ、タコとヒトデをモチーフにした「蛸と海星」や、アンティークの付け襟をイメージした「装」など、グラフィカルなデザインが中心です。やっぱり私は、グラフィックデザインも好きなので。「蛸と海星」の図案に自分の似顔絵的なものを紛れ込ませてみるなど、それぞれのお皿には話のネタになるような小さな仕掛けを施しています。色は私が「食べ物が一番美味しく見える」と感じる、藍色にしました。昔の印判皿は古道具屋さんなどでも売られていて、個人的に集めてもいるのですが、私の印判皿は“イナコ流現代版印判皿”といったところでしょうか。
小説『弁当屋さんのおもてなし』の装画はすべてイナコさんが描いています。
イナコさんの温かなお人柄も現れているようで、とても素敵なお皿ですね。これから新たに挑戦してみたいことはありますか?
小さい頃から本が好きだったので、装画を描けるイラストレーターになりたいなと思っていたんです。そうしたらありがたいご縁が続き、さまざまな書籍の装画を描かせていただけることとなりました。私には絵を描くことしかできませんし、ずっとそう思いながら生きています。だからこんな仕事がしてみたいというより、これからも自分が描きたい絵を描き続けていたい気持ちの方が強い。生涯絵を描きつづけ、死の間際まで絵の上達と描くことを願った葛飾北斎のように、ずっと絵を描いていたいんです。葛飾北斎の名前を挙げるのは、おこがましいのですが……。だから年を重ねても、きっと自分の絵に100%満足することはないのだと思います。もし納得のいく絵がかけて、そこで描くことに飽きてしまったら嫌じゃないですか。だから常に「もっと上手く描きたい」という思いで、絵とともに人生を歩んでいきたいなと考えています。
「いつも『まだまだだな』と思いながら描いているので、少しずつでも自分が納得できる絵が描けるよう、これからも描きつづけていきます」とイナコさん。
《プロフィール》
イナコ(いなこ)
イラストレーター
岡山県出身。グラフィックデザイナーとしてキャリアをスタートし、2005年にイラストレーターとして独立。2013年より食べ物のイラストを中心に描く。雑誌、書籍、広告、WEB媒体など、幅広く活動をしている。
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